まず、これから書くブログの文章について、多少その時の気分にも左右されていますが
・幼少期を振り返る過去の話「である」調
・現在のその他の記事「です・ます」調
で書いています。
本当は過去の振り返りも「です・ます」調で書きたいのですが、当時を思い出す時はどうしても心が柔らかい雰囲気にいかず、諦めて「である」調に統一しました。
簡単に自己紹介
ここでこのブログを始める事にした私自身の事を少し書こうと思います。
現在アラフォー、20代前半〜半ばまで境界性パーソナリティ障害(ボーダー)、中学生時と30歳〜の数年うつ歴がありますが、今は回復し、約10年が経ちました。
性格は血液型当てでは毎回O型と当てられる典型的なO型です。
人見知りせず楽天的・マイペースの自由人、ですが楽天的なのにとても心配性です。
これは大抵のことは「なんとかなる!」と気楽に考えるのですが、子供の帰りが遅い時など「もしかして事故に遭ったのでは、誘拐されたのでは・・・」と一度気になると、気が狂うほど心配になり、いてもたってもいられなくなります。一度気になると、というところがポイントで、自分が気にならなければ世間で色々騒がれるニュースなんかもずっと気になりません。ですが大きな地震や戦争が起きる事はずっと心配しています。
あまりにも心配性なので、今は娘たちに迷惑がられています。
2020年現在、同年代の夫、高校生中学生の娘と暮らしています。
中学生の次女は小学校5年生の時に発達障害である軽度のADHDまたASDと診断され、先天性の股関節脱臼でもあります。
私の両親は病気をしたりなんだりはありながら、共に健在で現在60代後半です。
烏星未烏(えぼしみお)という名前、カラスの理由
私の『烏星 未烏』という名前についても紹介させて下さい。
烏(カラス)が好き、というより、烏という漢字に妙に惹かれるのです。
カラスは真っ黒で目がないように見える事から『烏』という漢字になったようですが、私には
“鳥になれない、一歩足りない…“
「パッと見は鳥かと思ったら、あれ、なんか違うよね?」
カラスが鳥であることは間違いない事実なのですが、そんな未完成さを感じて親近感がわくのです。
勝手に仲間意識を持たれたカラスも迷惑でしょうが、そういった理由でカラスの文字を2文字も借りて『烏の星(世界)に住んでいる未(いまだ)烏』 烏星 未烏(えぼしみお)
という名前に決めました。
その未完成な鳥、のような烏なのですが、未完成だからこそ成長の余地があるはずと信じます。
そんなカラスでもどなたかの元へ何かを届けれたらいいな…という思いから、トップ画にはカラスが手紙を咥えて飛んでくる画像を作りました。
わたしの基本的な性格
ストレングス・ファインダー(この本の巻末に一度限りのアクセスコードがついています)のテストによる上位資質5つ
- 適応性
- ポジティブ
- 共感性
- 社交性
- 収集心
一人っ子である事を羨ましがられた子供時代
私はこの年代では比較的珍しい一人っ子です。
一人っ子であったがゆえか、考える時間だけはたくさんあったので、色々な事を考える子供でした。一人っ子の心理については、いつか余裕ができた時に書くかもしれません。
私の子供時代、一人っ子はクラスに一人いるかどうかという感じで、小学生の頃は一人っ子である事を周りからとても羨ましがられました。
でもそれが本心から言っているのではないという事は、子供心にしっかり感じましたし、少数派であることを寂しくも思っていました。
みんな兄弟の悪口や不満を私に口にするのですが、それらはどれも心からの不満には聞こえなかったし、結局はすぐまた兄弟と遊びケンカをし、そしてそれをいつも繰り返していました。
また大人になってからは『いいな〜!何でも独り占めできるし可愛がられたでしょう~!』とよく言われます。
そして子供の時から今に至るまで、一人っ子に対する偏見とも取れる様々な意見や決め付けもたくさん聞いてきました。
私が親から全く可愛がられなかったかというと、そういう訳ではないのですが、 母のそれはとてもねじ曲がったものでした。
条件が揃わないと母は愛してくれないと私は感じていた
母が私を愛するには、母が求める子供である事が前提にあり、その時に初めて母にとって可愛い娘と思えたのではないかと私は感じています。
ですから当時も今もよく言われる『一人っ子=かわいがられて愛情を一人占め』
という周囲の言葉は、子供の頃無条件に愛してほしいと願っていた私にとっては、少し複雑な気持ちになり返事に困る反応です。
私は母に何とも言えない心にくすぶるモヤモヤした物、どうする事もできないやるせなさを抱き続け、また育った環境には長年のしがらみがありました。