子供の気持ちを忘れた大人達へ子供の気持を知る為の作業

幼少期の母親との関係性はその後の人生に影響を与える

f:id:JETBLACK:20200818115744j:plain



このブログ内では今後、母親と子供の親子関係についての話が多く出てくる。

 

そして過去を振り返る中で、私が書いていくことは全て当時の私自身が感じた事であって、同じ様な経験をした人が私と同じ事を感じるとは限らない。

あくまでも私が経験し、私が子供の頃に思った事だ。

また当時を振り返り私が子供の気持ちについて書く時、それも私の主観であり、もちろん別の考え方をする人もいるはずだ。私は自分の考えを「これはこうあるべき」また「これが絶対正しい」と押し付ける気持ちはない

それを前提に読んでいただけたらありがたい。

 

前回の最後に少しだけ触れた  “特殊な事情”  について記述するのは少し後になる。

この事情またそれにまつわる事柄について書くのは、とんでもない部分に触れる様な気がし(他の方にとってはなんて事はないかも知れない)未だにためらいと僅かな恐怖をは持っている。

でもこの  “事情”  を知らない、また経験した事のない方々にとって、私の経験した事は興味深い物になるのではないかと思う。

興味本位だけで読んでもいいし、またこんな家庭があったという事を『へぇ〜』と知ってもらうだけでもいいと思っている。

 ”普通の一般家庭”  で育った方にとっては驚く事がたくさんあるはずだ。

 

 

 

子供時代涙ながらに「子供の気持ちが分かる大人になる」と決意した

 

私は傷つき悲しい思いをした子供時代、子供の気持ちが分かる大人になると涙ながらに心に決め、ずっとその気持ちを強く抱いてきた。

夜ベッドの中でその日の出来事を振り返り、悔しさと怒りと悲しみの感情がごちゃ混ぜになった感情に耐えられず、親に気付かれる事がないように静かに涙を流し、その決意を忘れないよう心に刻んだのは一度二度の事ではない。 

中学生くらいのある一時期は、自分と同じように傷付いた、または悩みを持つ子供の話を聞くカウンセラーになりたいと思っていた。私ならその子達の気持ちを理解できると思っていたからだ。

『絶対に私と同じように、また私よりももっと苦しんでいる子供がいるはずだ。そんな子供達を救いたい。もう誰にも私と同じような思いをさせたくない』と思った。

そして『この気持ちを忘れないようにずっと覚えていよう』と何度も心に刻み、眠りについた。

 

だがこれまた家庭の事情があった私には、進路に関する選択肢は一切なかったと言っていい程だった。

本当にカウンセラーになりたいのであれば大人になってから自分で道を拓けたはずだが、長年のしがらみを断ち切り初めての自由を手に入れた私は、自力でその道に進む事はなかった。

でもしがらみが逃れたからといって、私が子供の時のあの決意を忘れた事は一度もない

 

 

子供を持つ幸せと同時に感じた恐怖

 

その後の私は子供にとっての母親の存在の大きさと重さに逃げ場のないような苦しさを感じ、比較的若い頃から「いつか自分の子を持つ」と事を望むようになる。

 

年月が経ち、やがて私は結婚し妊娠した。

人生で初めて経験する待ち望んだ妊娠にこれ以上ない程の幸せを感じ『この子供にとって私は絶対的な存在になる。そして私はこの子に愛情の全てを注ぎ、子供の気持ちが分かる良い母親になる』 そう思っていた。

そして26歳の時長女は産まれ、私は母となった。

待ち望んだ子供へ抱いた愛情はそれまでに誰かに対して感じた事がないもので、こんなに愛おしい存在があるものなのかと驚いた程だ。

でも私にとって初めて  “自分の命よりも大切”  と感じる存在ができた事は、同時にそれを失う恐怖を抱える事でもあった。

眠る子供の顔を見ながら、将来この子が少しの悲しい思いもしませんように、と到底不可能な事を願い、災害や事故で子供を失う事を極端に恐れた。

それによって私は次第にストレスを蓄積し、一人の人間をこの世に産み落とす事の責任の重さを初めて知る。

 

 

我が子の育児の苦悩と葛藤 

 

私はそれほどまでに長女を大切に思いながら、日々の育児は思い描いたようにいかない様々な事が起こり、悩む事となる。

特にその葛藤を感じ小児科医に相談する程悩んだのは次女が産まれた後の長女の赤ちゃん返りの時期なのだが、その時の詳細は別の記事に書こうと思っている。

 

子供の頃の記憶を強く持っている私は当時の自身の気持を良く覚えていただけに、決意したはずの理想 と それが出来ているとは言えない現実の育児 の差に大きな葛藤を感じた。

自分が偽善者になったように感じ、 ”自分が思っている自分“  と  ”本当の自分“  は実は全くの別人格なのではないかと恐ろしく感じた程だ。

『あれだけ心に決めていた事なのに、あの決意は何だったのか…大人になるとこうして変わってしまうのか…』と自己嫌悪に陥り、同時に『私の母もそうだったのだろうか…』と若かった頃の母の心に想いを馳せてみたりもした。

 

この時は子供達が二人ともまだ幼く、また私自身が人間としても母親としてもとても未熟であったと今は感じる。

子供の成長と共に母親の育児の悩みは形が変わり、現在は現在でまたモヤモヤと思う所はあるのだが、この時期が私が最も苦悩した育児の期間だったと思える。

それでも子供達が成長した今、もう戻らないあの苦しかった時期を懐かしく思い『もう一度あの頃の子育てをしたい』と思う程になるのだから、出口が見つからなかったあの頃の自分に今の思いを教えてあげたいなぁと、できもしない事を考えたりする。

 

 

 

私が子供の気持ちを書く理由

 

もちろん生きている限り家庭また人間関係など、育児の悩み以外の様々な問題は並行して起こった。そしてそれらの問題を乗り越えなければならない。

解決策がないのではないかと悩んだ事も、時が経てば大抵の事は何とかなるもので、過ぎてみれば今日までの日々があっという間に感じる。

 

私自身ここ10年程で色々な物事に対しての考え方の視野を広げたり、自分が変わらなければならないと感じる場面ではそうする努力をしてきた。

昔よりも成長し強くなったと思え、そしてある程度子供達も大きくなった今だからこそ、私が幼少期に経験した事を書く事が私自身が未だ消化していない部分を客観的に知り、心を片付け今よりも成長しそして子供の気持ちを忘れない事に繋がるのではないかと思ったのだ。

子供の気持ちを知りたい人、子供の気持ちを忘れた人、これから親になる人、子供の頃の悲しい体験を忘れられない人、今育児に悩む親達に読んでもらいたい

 

私は、もし今育児をやり直す事ができるのなら今度はこうするのに、と特に初めての子供であった上の子に対して思う事がある。

あれだけ心待ちにし命よりも大切だと愛おしく思った娘に対しても、私は後悔の気持ちを持つ部分があるのだ。

一度当時の事を娘は覚えているのかと聞いたら娘は そんな昔の事は覚えていない と言ったのだが、もし本当はあの時の記憶を今も持っていたら…というのは私にとっては怖い事であり、4歳当時の娘にはかわいそうな事をしたと思う。

 

これまで理想とする育児ができず落ち込み、そしてそこから親としての成長を目指し改善しようとする時、自身の子供時代がいつも思い出されてきた。

“こんな場面で私の母はこう言った。私は同じ事はしない。母はなぜあんな事ができてあんな事を私に言えたのか” と恨みがましい気持ちを持ったし、幼い自分と娘達が重なり、娘達が幼少期の自分だったらと想像し耐えられない気持ちにもなった。

心の中には様々な感情が行き来し、また育った環境を恨めしく思った。

 

そして強く感じるのは

幼少期の母親との関係性・子供の記憶がその後の親子関係や人間関係に間違いなく影響を及ぼす

という事だ

 

 

子育ては今からでもまだ間に合う

 

我が子には決して同じ思いをさせてはいけない。過去をやり直す事は出来ないが、まだ育児が終わっていない現在、子供達が大人になるまで努力を続けていかなければならない。いや、彼女達が大人になってからもだ。

今も昔も親からの虐待で命を落とす子供はいる。また命を落とさずとも虐待を受けた子供の数は昨年一年で数千件、児童相談所の相談件数でいえば15万件を超えるという。

多くの子供達が親、または大抵は近い立場の大人から傷つけられている現実を考えると、本当に胸が痛む。

同時に虐待をする側の大人も同じように虐待を受けて育ったり、育児に悩んでいたりと様々で、一人一人の思いは周りが想像する以上に追い詰められたものなのかも知れないとも感じている。

 

“子育てに終わりはない“ と言うのならば、まだ間に合うのではないか

傷付いた子供の心を完全に癒すのは難しい事だとしても、やはり子供はその癒しを親に求めるのではないかと私は思うのだ。手遅れになる前に一人でも多くの子供が救われる事を、心から願っている。

 

子供の立場から書いたこちらの記事も読んでいただけたらと思う。

↓ 

 

www.jetblackcrow.com

 


あの日、なぜだったのだろう…どうして私は…頭をよぎるどうにも出来ない過去と育った環境の中、何度も  “普通の家庭の子供“  を羨ましく思った。

全てではないにしても、今となっては半ば消化したと言ってもいい感情を、この年になって

私は初めて文字に残そうと思う。