子供の気持ちを忘れた大人達へ子供の気持を知る為の作業

子供が母親を呼び、求めていること

ママ…お母さん…母ちゃん…

なんて素敵な響きなんだろう。

 母親を呼ぶ子供の声は、子供の思いの全てが詰まっているようで、それは私にとってとても甘く、そしてどこか切なさを感じる物だ。
 
親は子を産むとその日から様々な言葉を子に向かって話しかける。
そして大抵、子が成長し言葉を発する時、早い段階でその言葉の中に、母親を表す物がある。
 
その言葉はその日から何度も繰り返し発せられ、幼少期に最も子供が口にする言葉ではないかと思うほどだ。
 
母を呼べば自分に注意を向けてくれ反応してくれる事を知っている。
だからこそ子供はその言葉を繰り返し使うのだろう。現に何度母親を呼んでも関心を示して貰えない子供は、その内母親を呼ぶ事を諦めてしまう。
 
母を呼ぶ子供の行為、そこには本来母親への全幅の信頼が込められているはずだ。
 
 

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私が母を呼び、求めていた物

 

子供は皆母の関心を引きたくて、要求を聞いてほしくて、そして母を求め、愛されたくて…何度もその名を呼ぶ。
『ママ、ママ!』子供の頃の私も、何度も母親をそう呼んだ。
 
私が幼稚園に入園するまでに日常的に接していた人は主に母親だ。入園してからも小学校に入ってからも私は兄弟がおらず、最終的に一人っ子のまま大人になったので、日常的に接する大人は母親に限定される。
 
今思うと私は母に、どんな私であっても無条件に愛して欲しかったのだと思う。
母親なんだから◯◯してくれるはずだ。◯◯してくれないなんておかしい。そう思う部分が確かにあったと、当時を振り返り思う。
 
小学校時代を振り返りよく思い出されるのは、学校から帰宅しキッチンに向かい私に背を向けている母に帰宅早々駆け寄り『ママ聞いてー!』『ママ、今日ね…』と一気に何かを話そうとする場面だ。
そんな時母は『今忙しいから後にして』『今話したい気分じゃないから後でね』と大袈裟でなく8割くらいの確率でそう答えた。
 
いつも言われている事なのに、私はご丁寧に毎回その言葉に傷つき、そっと 母に背を向けてその場を離れた。そしてその “後で” がやってきた試しはない。
それなのに私は飽きもせず、数日後にはまた『ママ聞いて!』と繰り返した。
 
なぜか?たまたま気分が良かったのか『後で』を繰り返した罪悪感なのか、母は時々『なあに?』と話を聞いてくれたからだ。
その時の(ママが話を聞いてくれた〜)という喜びを感じたい為に、何度も『ママ聞いて』を繰り返せた。
 
私にとって母が話を聞いてくれるという行為は“母が私を受け入れてくれている”という事だった。
 
 
 

子供は母親に完璧を求めてなどいない 

 

私の母は自分を否定される様な事を言われた時、それに極端に反応して怒り出すことがあった。

誰であっても自分を否定される事は傷つくし良い気持ちがする物ではない。

私は子供の頃、主に小学生時代、上記の様な不満を持った時、その不満を母にぶつけた事が何度かある。

自分の中で納得できない気持ちを片付けたくて、そして恐らく母に愛されていると感じたかったからだ。

 

そんな時母はよく『ママだって完全な人間ではない!』と言った。

子供の私からすれば、私が母に伝えた不満など、ほんの些細な事だった。

大抵は「もう少し話を聞いてほしい」だとか「他の子と比べられるのは悲しいからやめて欲しい」だとか、そんな内容だ。

 

それなのに母は私がびっくりする程怒り、以後しばらく私を無視して口をきいてくれないという事が何度かある。

これは子供の私をとても傷つけた。
母は、完全な母親像を求められたと感じたのだろうか?そうだとしたら母に申し訳ないという気持ちもある。 
でも私は別に完全な母親を求めてなどいなかった。
 
『ママ聞いて〜』と言った時には聞いて欲しかったし、もし忙しくて『後でね』と言ったなら、本当に後で時間を作って欲しかったなと思う。
子供は母親の言動から自分が軽んじられていると感じる事には敏感だ。そしてその事をとても不満に思うものだ。
それを母は知ってか知らずか、私の気持ちを満たしてくれる事は少なかったと思う。
 
 ただ私は頻繁に誰かと比べられるのは悲しかったし『あんたなんか産まなければよかった!』と何度も叫ばない母親を望んではいた。