いよいよ少しずつ過去の振り返りをしていく。私の一番古い記憶は2歳からある。
もちろん2歳の記憶はその後の記憶に比べたら数は少ないのだが、そのどれもが私にとって強く心に残った出来事だ。
この時を始めとし、その後子供時代を過ごす過程で私は、母の私への愛情に何度も不安と疑問を持つ事になるのだが、その出来事の中で一番古い記憶を書こうと思う。
当時両親と私の3人は、私が3歳になる少し手前まで、地方都市のアパートの2階で暮らしていた。
そのアパートの階段はカンカンと音が響き、段差がポッカリと空間になっている鉄骨階段だった。昭和50年代、私が2歳の時の話だ。
階段下に三輪車と共に置いて行かれた2歳児
ある日母と私は買い物に出掛けた。当時まだ運転免許を持っていなかった母との買い物は、大抵の場合徒歩5分程のスーパーに限られていた記憶がある。
そして私は買い物のお供にキコキコと三輪車を漕いで行くのがいつもの光景だ。
その帰り道、原因がなんだったのか全く覚えていないのだが、私は母を怒らせてしまった。(母との外出では必ずといっていい程毎回母を怒らせた)
スタスタと私の前を先に歩く母の後を三輪車で必死に追いアパートに到着すると、怒ったままの母は私を待つ事なく、振り返りもせず一人さっさと階段を昇って行ってしまった。
残された私は置いていかれた事にしばし呆然としたが、早く母を追わなくては更に叱られるであろう事に焦りを感じていた。
その上2歳の私には三輪車を二階まで運ぶという仕事があるのだ。
焦る気持ちもあったが、私は自分がとても小さい事をちゃんと自覚していた。
そしてこんなに小さな子供を母が放っておくはずがない。戻ってきて手助けしてくれるのではないかと、どこか期待する気持ちがあったのだが、しばらく待っても母は戻って来ないのだ。
来てくれないのなら三輪車と共に自力で二階に上がるしかない。
三輪車を抱え2歳児が階段を昇る場面を想像してみてほしい。
その階段は古い昔の物で、今の一般的な階段よりも急だった上に鉄骨の下が丸見えだった。
私だったらそこに三輪車を抱えた2歳児を放置しないだろうと思う。
もしも子供が『自分で三輪車を運びたい』と言ったなら、後ろからサポートし何かあったらすぐ助けれる様構えておくだろう。
だが当時の私は怒った母に置いていかれたのだから、母が来てくれないのなら自力で階段を昇るしかない、という状況だ。
諦めた2歳児は三輪車を抱えヨイショ、ヨイショと一歩一歩階段を昇り始めた。
三輪車と共に階段から落ちる
一段一段をとても苦労し、必死で階段を昇った記憶がある。
今思ばどう考えても危なっかしい場面なのだがやっぱりというか何というか、やっとこさ階段の中ほどまで来た時、私は三輪車もろとも落ちてしまった。
それでもスカスカ鉄骨が逆に幸いしたのか、私は三輪車ごと数段落ち、鉄骨階段の隙間に三輪車もろとも挟まりそこで身動き取れなくなった。
そして驚きと痛みでワーワー泣いた。
と同時に、泣き声を聞きた母がすぐに慌てて来てくれるだろう。一人で苦労して階段を昇るのもこれでおしまいだと安心する気持ちもあった。
私はここぞとばかりに泣き、また泣きながら 『マーマー!!マーマー!!』と母を呼び、叫びに叫び泣き喚いた。
母が助けに来てくれると2歳児は信じた
が、母が来ないのである。部屋はすぐそこ、声が聞こえていない訳がないのだ。
いくら泣いても母がやって来ない中、私は自分の声が母に届いていないのではないかと不安になった。
さらに『こんな小さな子がいつまで経っても部屋に戻って来ない事を母は不安じゃないのだろうか』と、当時ここまではっきりとした言葉でなかったとは思うが、感情としてはこんな事が心に浮かび、とても悲しくなった。
その内泣き声を聞いた近所のおじさんがやって来てくれたのだが、階段に絡まる私を助ける事なく慌てて部屋に母を呼びに行ってくれた。
おじさんが最初に私を助けなかったのは、私にとってちょっと好都合に感じた。
階段に挟まった今の私の姿は、きっととてもかわいそうに見えるだろうと思たからだ。
母が来るまでの間私は、母はさっきまでの怒りを忘れ慌ててやって来る。そしてわたしの姿を見て驚き助け出してくれ、私にケガがないかの心配をするだろう。
そう本気で信じていた。
階段から落ちた私を見て母が取った行動
おじさんに呼ばれ間も無くやってきた母は、私に向かって怒鳴った。
なんと怒鳴られたのか覚えてはいないのだが、私を心配してくれるだろうという期待を見事に裏切り、怒鳴ったのだ。
ただ母は階段の上から私を見下ろし、心配するそぶりをわずか程も見せず、怖い顔をして私を冷たく見ていた。
そして背を向け、私を助ける事なく部屋に戻って行ったのだ。
その衝撃とショックな気持ちは2歳の記憶にしっかりと刻まれ、その日の光景はその後、事あるごとに何度も思い出された。
階段に挟まった私を助けてくれたのはおじさんだった。その後どうやって部屋に帰ったのか、私が戻った後の母がどんな様子だったのか、その記憶はない。
これが、私の心の内に生まれた、母親に対して抱いた不安の一番古い記憶だ。