前回の衣装ダンスに閉じ込められた話は、私の母親くらいの年代の方にとっては、ごく普通の事であったと聞いた事がある。
それなのにタンスだの押し入れだのに閉じ込められた記憶を、大人になっても詳細に覚えている私を執念深いヤツだ感じる人もいるのではないかと思う。
なぜ私は幼少期の様々な事を強烈に覚えているのかと考えた事があるが、これは私がとても感受性が強い子供であったという事に加え、それまでの母の言動から母の愛を100%の無償の物であると信じる事ができなかったからではないかと思う。
そして私は必要以上に他人の気持ちを推し量る子供だった。例えば学校で私が嫌な目に遭った時『ママがこれを知ったらかわいそうだな。自分の娘がこんな目に遭ったと知ったら母が悲しむんじゃないかな』と思うのだ。
また何か良くない事があった時『これが自分で良かったな』と思う事が幾度となくあった。
いや、他人の気持ちと書いたが、振り返ると気にしていたのはいつも親の気持ちだ。
それ以外にも必要以上に他人に感情移入する傾向もあった。 これは親に対してではなく、それこそ本当の他人に対してだ。
感情移入の話で、アパート時代の印象に残ったエピソードの一つを書こうと思う。
2歳が親に対し何を思ったのか読んで欲しい。
ぼっとん便所をご存知だろうか
結論を先に書くと、私にとってこれは『ぼっとん便所に落ちた帽子事件』だ。
知っている方もいるだろうが、まず今ではほとんど見る事も使う事もないぼっとん便所について話す。
私が子供の頃は、大抵のトイレはぼっとんだった。思い返すとデパートなどは水洗だったような気もするが私が住んでいた地域では、私が中学生くらいになるまで一般家庭のトイレは汲み取り式のぼっとんだった。
そして大抵のぼっとんは和式だ。 床続きに便座があるものもあるがアパートの便器は、入り口から続く床よりも一段高い場所に便器が設置してあるタイプだった
その和式トイレを幼児が使用する時、どうするか。
どのタイプの和式でも方法は一緒だが、下着を下ろした子供の膝に両手を入れる形で後ろから母親が抱きかかえ子供に用を足させる。
今考えるととても大変な作業だったのでは…と思う。
ちなみに母の実家は田舎の農家で、和室が10部屋以上あるとても大きくて古い家だった。長い廊下の一番奥にトイレがあったのだが(今は改装してある)、そのトイレが本当に怖かった。今の子供がトイレを怖がる比にはならない。
昔はぼっとん便所にまつわるたくさんの怪談話があり、トイレの中から手が出て引っ張られる…などの話を聞いた後は一人でトイレに行けず、いとこと一緒にトイレに行き交代しながら用を済ませた。
買ってもらって1日でぼっとん便所に落ちた帽子
ある時父親が私に帽子を買ってくれた。
どんな帽子だったか今となっては定かではないのだが、買って貰った翌日、私は嬉しさのあまり朝から帽子を被っていた。
そしてトイレに行きたくなり、いつものように母に訴える。
その時母は、落とすかもしれないから帽子を取るよう私に言ったのだ。
だけど一瞬たりとも帽子を脱ぎたくなかった私は『落とさないから大丈夫』と言って、被ったまま母に抱えてもらった。
結果は書くまでもないが…
想像通り帽子は私の頭から離れ、狙った様に真っ暗なぼっとんの底に落ちていった。
2歳児が悲しんだ理由
その時のショックと言ったら言葉では言い表せないほどだった。上から覗いて見える場所に帽子はあり、母が物干し竿で取ろうとしたけど引き上げる事は出来なかった。
買ってもらって、たった1日しか経ってないのだ。
そしてこの時の悲しさの中には、いくつかの気持ちがあった。
1. とても嬉しかった帽子を落としてしまった悲しさ
2. たった1日というショック
3 .買ってくれた父の気持ち
4 .喜んでいた帽子を落として落ち込む私を見た父が、私をかわいそうに思うのではないかという心配
その中で一番大きかった気持ちが4だった。
これに関しては、私がかわいそうな目に遭った事を知ったら、パパがかわいそうだなという、もはやよく分からない感情だ。
2歳がここまで思うか!と今でも思うのだが、この様な気持ちはその後の成長の過程で何度も味わい、それ故あらゆる出来事を母に伝える事ができなかった。
恐らく両親はこの一連の出来事で、2歳の私がここまで考えていた事は想像もしていなかったと思う。
この時2歳の私が親の心中まで案じる気持ちは、親が私を愛している事を前提とした考え方だ。
まだ親からの愛情に不安を抱く機会も少なかったことからも、この気持ちは納得できる。
でも不思議に思うのは、成長し何度も母の愛情を疑う場面に遭遇した後も、私はこの時と同じ様に母の気持ちを気にかけた。
母から愛されていないのではないかという不安を抱きながらも、母が子を愛していないはずがない信じる気持ちもどこかで持っていた。