自分の性格や考え方がどのように形成されていくかは、生まれ持った特性や気質に加え、その後の人間関係によるらしい。
ならば2歳時点で様々な事を感じ、必要以上に他人の心情を推し量る子供であった私の性格は、おそらく持って生まれた特性であると言える。
その子供が大人に成長した時、ひどく心を病むことになった出来事があった。私以外にも同じように感じた母親もいる事と思う。
この記事はある事件を知った事で私が病んでいった過程と後に心をコントロール(防御)していった方法だ。
- 報道後、日々どんどん心が沈んでいった事件
- 一人では抱えきれず友人との会話で事件について触れる
- 一ヶ月経っても這い上がれず母に気持ちを打ち明ける
- 共感性の薄い夫の考え方
- 生活に支障をきたす程の落ち込み。そんな時の夫の言葉
- 悲しいと感じる事は当たり前だと自分の気持ちを受け入れる
- 辛い思いをした自分を慰め受け入れた後できる事
報道後、日々どんどん心が沈んでいった事件
感情移入しやすい特性をもった私に最も大きな弊害を起こした事件、12年前に起こったこの事件だ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/大阪2児餓死事件
この事件を初めて知ったのは当時働いていた職場のテレビのニュースからだった。
長い間子供が放置されていたという出来事はとてもショックで、亡くなった子供達のうち3歳の女の子と我が子が当時同じくらいの年齢だったことから他人事とも思ず、とても心が痛んだ。
それからは連日この事件についてのニュースが流れ、詳細が報道されていく。
幼い二人の子供が帰らぬ母親を待ちながら、お腹を空かせて亡くなっていったという現実はとても辛く、その子供達を毎日想い次第に私の心は深く沈んでいった。
どんな心細く苦しかっただろう…
おそらく3歳の女の子は、更に小さな弟を抱え途方に暮れたであろう事が想像できた。
一人では抱えきれず友人との会話で事件について触れる
そんな日が続き、やがて私は苦しさを一人で抱える事ができなくなっていった。
ある日同じ年の子供を持つ友人と会い、その会話の中で初めてこの事件について口にした。
『あの事件酷いよね。子供達かわいそうだよね』特段辛い気持ちを見せず、そんな感じで話したと思う。
友人の返事はそうだよね、かわいそうだよね〜という、私に共感するものだった。
そしてその後、私はもうその話題を口にはしなかった。友人の返事の後はもう話題を変えたのだ。
どうして私はあの事件を口にしたのだろう?同じ深さで共感してくれる人が欲しかったのかそれとも事件に対する友人の気持ちを知りたかったのか…。
友人の口調から、これ以上突っ込んだ話をしようとは思わなかったし、私の気持ちを話してみようとは少しも思わなかった。
とても良い友人なのだが、同じ温度でなければこの事件に対する私の気持ちを話す事は友人にとって迷惑かもしれないと思ったからだ。
一ヶ月経っても這い上がれず母に気持ちを打ち明ける
その後事件から一ヶ月程経った後も私は、一人になれば幼い子供達の事を考え、深く沈んだ心から抜け出せていなかった。
そんな時母と会う機会があり、何気なくこの事件に対する自分の思いを話してみた。
そうしたら母はとても強く反応し『あの子供達の事を考えると眠れないのよ』と言ったのだ。
私と同じだった…。
実は今まで何となく感づいていた事がある。母と私は心を痛めるポイントが似ているのではないか?という事だ。
例えば、子供の頃道行くおばあさんが重い荷物を持っているのを見てかわいそうに思ったという話や、子供の頃自分(母)だけ兄弟の中で親に大事にされなかった様な気がするなどの、ちょっとした話だ。
母の返事を聞き『やっぱり母もそうなんだ。私と同じ様な事を思うんだ』と納得もし、驚きもした。
それを知って、やはり私は思うのだ。
母は昔、幼い私に対して心を痛めなかったのか?と。
娘である私が大人になった今、昔を思い出し心を痛める事はないのか?と。
母の共感を得たが、同時に母の心を知ったのはとても複雑な思いだった。
その後も精神状態が安定せず落ち込む日々が続き、このままでは本格的に生活に支障が出ると感じた私は、夫に自分の気持ちを話す事にした。
共感性の薄い夫の考え方
基本的に夫は共感性に欠けるという比較的男性に多いタイプだ。
そして自分の心の内のマイナスでネガティブな感情を口にする事はほとんどない。
誰かの悪口も言わなければ、いわゆる愚痴も言わない。
心では何かしら思っているのだろうが、本当に口にしないのだ。
不思議に思ってなぜ口にしないのか聞いた事がある。すると『口にしても何も変わらないし無駄だから』という答えだった。女性は共感を求めるというが、それとは全く逆の考え方だ。
いつも前向で(恐らくあえてそうしている)終わった事をいつまでも口にする事も嫌う。
考えても仕方のない事は考えないし、ましてやその事が原因で悩むなんて時間の無駄という考えだ。
その夫に私の心の内を話すのは、なんの解決にもならないだろうし、話した所で後から後悔するのが想像できた。
生活に支障をきたす程の落ち込み。そんな時の夫の言葉
この頃いつも沈んでいた私に、夫はいい加減イライラしていた事だろう。
これ以前にも夫との会話で少しだけ事件について触れた事はあったのだが、友人に話した時と同じ様に私はすぐ話すのをやめていた。
でも夫は、私がこの事件によってずっと沈んでいる事を分かっていたのだろう。
ある時夫が言った『終わった過去をいくら考えても何も変わらない。生活に支障が出るくらいに考える事は何のプラスにもならない。それよりこれからの未来を考える方が大事だ』と。
それを聞いた私は(やっぱり夫は共感性がない。彼にはこういうネガティブな感情は話せないんだな…)と残念に思った。
悲しいと感じる事は当たり前だと自分の気持ちを受け入れる
私にとっては残念に感じた夫の言葉だったが、この時の夫の言葉はいつまでも私の中に残った。
以後も世界の様々な悲惨な事件や状況を耳にするたびに私はまた何度も沈み込みそうになるのだが、そんな時はいつも夫の言った言葉が思い出された。
ニュースを見て心を痛め、ただ落ち込んで…これが何になるのだろう?はっきり言って私の落ち込みなど、世の中になんの影響も与えないのだ。
人間なのだから色んな感情を持つのは当たり前なのだ。その気持ちを受け入れる。その上で未来を考えたい。
私は自分を守る為、また未来を考える事ができるよう、心を強くしたいと願った。
それは健全に生きる為の術であり、同じような悲しい事件から一人でも多くの子供を救わなければならないと思ったからだ。
心を強くする事は、心を無にし悲惨な事件に心を痛めない、という事ではない。
今も変わらず感情移入し、心も痛む。その中で必要以上に落ち込んだり、自分の生活にまで影響を与えないよう努力した。
飲み込まれない強さが欲しい。そう思い至った考え方だった。
辛い思いをした自分を慰め受け入れた後できる事
あの事件から12年経った今、私はある程度その術を身につけたように思う。身に付けた、ではその後どうするのか?
その時改めて自らの過去を思い、過去の子供時代の自分を慰めた。
私は本当はとても辛かったのだ。だからその体験や子供が思う様々な事を発信し、より多くの人に知ってもらい、なくならない虐待から子供達、また親達を救いたいと思っている。
ブログを書くこくことは、その一歩だ。
今過去を全てを受け入れ消化したと言えるか?と問われれば、全てを消化出来てはいないのだと思う。でも今、過去を振り返って初めて当時の事を書ける自分は、少なくともあの頃の自分より強いのだから、いつかわずかであっても何かが実る事を信じている。
悲しい気持ちを話す事は、誰かに聞いて欲しい、受け入れて欲しいという気持ちの一方、とても辛く苦しい作業だ。気持ちを聞いて欲しいというだけの人もいれば、解決策を求める人もいるだろう。私はそのどちらにも共感する。