現在中学校1年生の我が家の次女は、先天性股関節脱臼+ADHD+ASDです
その娘が小学校5年生で発達障害の診断を受けるまでの話になります
• ADHD診断に至るまでの過程
• 赤ちゃん〜幼稚園の時期の娘の目立った特徴
について書いていきます
はじめに、発達障害とは?ADHDとは?
ADHD (注意欠陥・多動性障害) とは発達障害に含まれる病気のひとつです。
発達障害の中にはおもに
・ASD(自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群、広汎性発達障害)
・ADHD(注意欠如・多動性障害)
・LD(学習障害)
などがあります。
これらは生まれつきであり、脳の一部の障害が原因と言われています。
そしてその症状は様々でひとりひとり異なり、一人が複数の障害の特徴をあわせ持っている場合もあります。
一般的に子供の場合、診断基準書をもとに、相談員との面談やテスト、医師の問診などにより、子供の特性に名前を付けるならこれであろうという診断名が最終的に下されます。
そしてADHDは大きく見て3つの特徴があります。
1.衝動性(思った事をすぐ口にする、優先順位をつけるのが苦手)
2.多動性(そわそわ落ち着かない、姿勢を保つのが難しい)
3.不注意(忘れ物が多く物をなくす、周りを見ていない)
昔ADHDという呼び方がなかった頃は『多動症』と呼ばれていたり、いわゆる『落ちつきのない子供』という言い方をされていました。
次女はこれプラスASDもあるのですが、娘の場合ASDの特徴をひとことで言うと『空気が読めない』というものでした。
また小学校高学年くらいまでは『人との距離感が分からない』という特徴もありました。
例えば家族で何かひとつの話題について話している時、突然全く関係ないことを口にするということがよくありました。
もし友達同士の会話中だったら「はぁ〜?」と一斉に白い目で見られるような状況に当たります。
ADHDの衝動性にも含まれる特徴ですが、話の流れを読んで頃合いをみて発言するということが苦手で、この点については友達関係にも影響があると思い根気よく教え、今ではだいぶ改善されてきています。
距離感については人によっては「馴れ馴れしい」と感じるような接し方です。これは成長と共に羞恥心が出てきた頃から徐々に目立たなくなっていった特徴です。
ADHDは女児の罹患率は男児よりも低いということが分かっています。
また男児と比べるとはっきりと分かる多動が少ないということから、年齢と共に多動性以外の症状が目立つ頃になるまでは見過ごされやすい、という傾向もあるようです。
そのせいか女児のADHDについての情報も少なく感じましたし、分からない事がたくさんあり悩み、手探りしつつここまできました。
ひとりひとり異なる部分の多い発達障害ですが、娘はこの他に先天性股関節脱臼という生まれつきの足の病気があり、その治療が2歳になるまで続いたため、その時期の行動などについては一般的な子供の成長とは異なる部分もあります。
その上で娘の場合、成長と共にどういった特徴や変化があったのか、ADHD女児の記録がどなたかの参考になればと思います。
赤ちゃん期〜3歳までの特徴
妊娠期:お腹の赤ちゃんは逆子だった
逆子が発達障害に関係するのか、これについて私はよく分かっていません。知ったとしてもどうする事もできなかったので、ほとんど調べたことがないままです。
次女は妊娠中期から逆子だったのですが、その頃はまだ胎児がお腹の中でクルクル回る時期だったことから病院でも『その内戻るから大丈夫』と言われていましたし、逆子に関して特に心配はしていませんでした。
でもその後も健診時にエコーで赤ちゃんの様子を見ると、毎回逆子状態なのです。
そして後期に入る頃に逆子体操の指導をされ、毎晩おしりをあげる体操をしました。
ですが努力の甲斐なく一度も逆子が戻ることはないまま、最終的には予定帝王切開で次女は産まれました。
新生児期〜生後4ヶ月:おとなしく手がかからない赤ちゃん
次女はとても大人しい赤ちゃんで、“なぜ泣いているか分からないけど泣いている“ということがほとんどありませんでした。
3歳上の長女は生後1〜2ヶ月の時期は朝晩関係なくいつもグズグズで、この状態がいつまで続くのだろう…と途方に暮れたのですが、次女はおなかが空けば「ふぇーん」とかわいく泣くくらいで、なんて手のかからない赤ちゃんだろうと驚いたほどです。
ベッドに寝かせれば寝る、おなかがすいた時やオムツが不快な時はちょっとだけグズり、快適になればまた寝て、目を覚ましてもひとりで機嫌よく声を出している、という感じでした。
上の娘の時と違い、私もとても余裕を持ってこの時期を過ごすことができました。
ですが生後1ヶ月経った頃、明らかに片方の足の開きが悪いことに気がつきました。
太もものシワの数も左右異なり、また私は股関節が悪い家系だったため、これは股関節脱臼だろうとほぼ確信していました。
この時期はいつもニコニコとしていて、股関節以外の異常があるようには全く見えませんでした。
生後4ヶ月:先天性股関節脱臼と診断される
出産した総合病院での1ヶ月健診時に足の開きが悪いことを相談したところ、その日のうちに院内紹介で整形外科を受診することができました。
その場で次回のレントゲンなどの予約をとり、そこからだいぶ待ち、生後4ヶ月になって先天性股関節脱臼と診断されます。
この後、リーメンビューゲルという装具を使って脱臼している大腿骨を元の場所に戻す治療が始まりました。
生後4ヶ月くらいの時期に行うこの治療で約80%が整復する(骨が正しい位置に戻る)のですが、娘は整復せず、治療の効果が薄くなるといわれている生後6ヶ月頃までリーメンでの治療を続けました。
それでも整復せず、いったん治療を休み、1歳前に入院して牽引での治療を始めることが決まりました。
そして1歳になる少し前に入院による牽引を1ヶ月続けましたが、娘はずっと薄いところをたどり続け、結局牽引でも整復することなく、最終的にはさらに1ヶ月後全身麻酔による徒手整復(脱臼を手で戻す)を受けるにまで至ります。
術後1ヶ月間はギプス固定、ギプスが外れたら今度は2歳まで足を開いた状態で固定するプラスチックの装具をつけて過ごしました。
リーメンの治療を開始したのは、娘が初めての寝返りを打つようになってからすぐのことでした。
この装具は赤ちゃんの肩から鎧(あぶみ)のように足の裏にかけ、股関節の角度をしっかりと固定するもので、一度つけたら次回の診察時に医師が角度を調整するまで外すことはできません。
体は仰向けに固定されることになるので、せっかく初めて成功した寝返りももう打てなくなります。
大抵の赤ちゃんはひどくグズったり機嫌が悪くなると聞き、いつもニコニコしている娘がどうなるのかとても心配し、またこれからどんなことをされるか何も知らずに無邪気に笑う娘がかわいそうで泣けました。
やはり赤ちゃんでも体の自由を奪われた不快さは分かるのでしょう。装具をつけてからはいつものニコニコは消えてしまい、この頃の娘は悲しそうに口を歪ませ、泣くのを我慢するような表情をよくしていました。
ですがリーメンの治療が長引くにつれ、娘も装具を付けた生活に慣れていき、やがて元のニコニコ笑顔が見られるようになり、これは親として切ないながらも本当に嬉しかったことです。
1歳〜2歳:ギプスと装具をつけた生活
手術後は1ヶ月間足を開いた状態を保つ形にギプスで固定しました。
体の自由が効かずこれも相当窮屈だったはずですが、娘は特に嫌がることなく順応してくれ、とても助かりました。
そして1ヶ月後ギプスを外したら今度はプラスチックの装具へと移行するのですが、これを2歳まで…と思うと先は長く果てしなく、気が遠くなりそうでした。
このプラスチック製(もしかしたらなんらかの樹脂加工かもしれません)装具は前と後ろの2つに分かれていて、間に体を入れ固定し、前部のマジックテープのベルトで止めます。
本来ならもう歩きまわったり、イタズラをする時期なのですが、装具をつけていると下半身を固定されているため、うつ伏せでズリズリと移動することしかできません。
またもちろんテーブルなどに手が届くこともなく、普通の子がするようなイタズラも一切できないので、何かの際に叱ったり注意したりということも皆無でした。
装具をつけているために同年齢の子供達と同じような月齢に合った経験ができないので、年相応の娘の成長度合いを知ることもできません。
ですからこの時期に、発達障害を疑う何かに気づいたということもありませんでした。
ただ、単純に考えて運動面は一年ほど他の子に遅れを取ることになるので、幼稚園入園後はその差がはっきりと出るのでは…という心配はしていました。
不自由ながら性格は陽気でいつも機嫌が良く、周りの家族も次女に癒されていました。
〜3歳まで:装具から解放され普通の生活を送れるようになる
長い間装着していた装具ですが、2歳近くになると下半身を固定された状態にも関わらず、テーブルなどを支えに何とかその状態で立ち上がり、つま先立ちで伝い歩きをするようになりました。
これにはみんなで喜び「すごいねぇ!パチパチ〜!」と手を叩きほめると、娘は照れたように笑うのが印象的でした。
娘は先天性股関節脱臼としては重度だったことから、リーメンでの治療時には医師に「将来歩けるようになるかは分からない。歩けたとしても跛行(はこう:足を引きずるなど)がでるかもしれない」と言われていました。
が、2歳になり完全に装具から解放されると、あっという間に正常に歩いたり走ったりできるようになりました。
言葉に関しては上の子は話し出すのが比較的早く、2歳時には年のわりにまともに大人と会話ができましたが、それに比べると次女は、日常の様々な場面に遭遇する機会が少なかったからか、それとも発達障害のためかは分かりませんが、少しの遅れがありました。
ですが装具をつけていたゆえの遅れとしか思っていなかったので、誰もそのことを気にしませんでしたし、成長の個人差の範囲のように感じていました。
幼稚園入園〜小学校入学前までの特徴
年少:多少の成長の遅れは感じるものの心配する程ではない
他の同年齢の子供に比べて明らかに刺激のない少ない生活を送り、また他の子供達と遊ぶという経験もほとんどなかったこともあり、次女は3年保育の年少さんから幼稚園に入園させることにしました。
入園時3歳3ヶ月、トイレトレーニングは始めておらずオムツ、自分の身支度などはほぼできない状態です。
生活面やお友達との関わりなど、多少遅れを感じる部分もありましたが、1月と早生まれだったこともあり、気になる程ではありませんでした。
人見知りもせず私と離れることにもすぐに慣れ、幼稚園に行くのを嫌がることもなく、この時点では何の問題もないように思えました。
年中:周りの子との違いを感じ始める
娘の行動や発言に『あれ?』というものを感じ始めたのは4歳になった年中さんの頃からです。
それまでも幼稚園にお迎えに行った時や保育参観の時など、細かい違和感は感じることは何度かあったのですが、それはまだ個人差や成長の範囲内と思えるものでした。
そのうち、これはちょっとおかしいのでは?と初めて認識したのは、体育の授業の保育参観に行った時のことです。
親達が見に来ている中、女の子達はみんなおすまししてキチンと先生の言うことを聞いているのに、娘はとてもふざけていたのです。
そして先生のお手本を見ながら体操をするという段階になると、娘は笑いながらわざと転んだり、床を滑ったふりをしていました。周りの子供達はとても真面目に体操をしている中、これはとても悪目立ちしていました。
男の子はともかく、周りの女の子はみんな迷惑そうな顔をして明らかにひんしゅくを買っているのに、娘はその様子に全く気づく様子がありませんでした。
終始その調子でいる娘を見た私は、「このままでは嫌われてしまい誰も友達がいなくなるのでは…」と心配し、また「もしかしたら何かしらの発達障害を持っているのではないか?」と疑い出しました。
このような明らかに周りの空気を読めない行動は、家で過ごしている分には特に気がつかないものでした。
家の中で一番年下で幼いということから、おふざけもかわいいものだと思っていたし、装具から解放されやっと子供らしい生活が送れるようになったと思っていたので、元気で明るいことは良いことだとプラスにしか捉えていませんでした。
そう思っていただけに、集団の中で明らかに浮いた行動をしても平気でいる娘を初めて目の当たりにし、私はショックを受けました。
発達障害を疑い幼稚園の先生に相談する
この授業での娘の様子を見て「明らかにおかしい」と感じた私は、参観の後幼稚園の先生に娘を見た印象を伝え、発達障害ではないか?と直球で質問しました。
私としては(いつも娘を見てくれている先生なら同意してくれるだろう)と思い、発達障害の可能性を考慮して今後を一緒に考えてくれるのでは…と想定してのことです。
ところが先生は少しもそんなそぶりを見せず「お母さん、なに言ってるんですか〜!ぜーんぜんそんなことないですよ。あれで普通ですから心配しなくて大丈夫です!」と明るく返事をしてきたのです。
これには驚き、とてもモヤモヤしました。
明らかに先ほどの娘の行動は変だと感じたのです。普段の園生活でも同じような行動をしていることは想像がつきます。
でも心の一方では『そうだよね、まだ4歳なんだからこんなもんだよね』という気持ちもあり、この時は反論もせず帰宅しました。
でも保育参観で感じた娘の行動への違和感は消えず、それ以後の生活ではより注意して娘の様子を見るようになりました。
やはりおかしいと感じ別の先生へ相談する
一度「あれ?」と気づいた後は、普段の生活の中で娘のあらゆる行動や発言が気になるようになりました。
家族や周りにそのことを言うと「気にしすぎ」「子供はこんなもんだよ」という返事なのですが、私の中ではこの子の性格なのか発達障害なのか分からず、ずっとグレーでした。
前回の保育参観から数ヶ月後、また幼稚園の保育参観がやってきました。
他の子供達と同じようにできるのか。他の子と娘との差を見よう。そればかり考えていた私は、授業の内容はほとんど耳に入らず、娘の動作や行動、目線がどこを見ているかなど、次女の様子を食い入るようにじっと見つめました。
そしてやはりこの時もおかしいと感じます。
先生が紙芝居を読み、娘以外のみんなが紙芝居に集中している中、娘は隣の子に話しかけたり後ろを向いたり、キョロキョロ落ちつきません。
どうひいき目に見てもおかしい。
そう思った私は、今度は前回相談した先生とは別の、専門分野を教えに外部から幼稚園に来ている先生に、娘を見て感じる不安について相談しました。
その先生の返事は「もしかしたら発達障害の可能性はあるのかもしれない。ただ今の年齢・段階であきらかに病気と言えるようには感じない。今後の様子を見ていってはどうか?」というものでした。
このことで私は『今白黒付ける必要はないのかな。今後の様子を見てその都度先生達に相談していけばいいか!』と思うようになりました。
年長:成長を待ち様子を見ることに
ここからしばらく娘の様子を見つつ、苦手な部分は細かい声がけなどをして対処していく時期が続きます。幼稚園生活は相変わらずな行動ながらも楽しく過ごしているようでした。
学芸会などでは大役は与えられないものの、みんなと同じように行動し、自分の出番でちゃんとセリフを言えたりと、一見すると問題がないように見える時もありました。
ただお友達のほとんどが男の子というのを知り、やっぱり…と納得いくようでもあり、心配に思う部分でもありました。
色々思うことはありながらも娘なりに成長していっているのは感じていましたが、この年長さんの時期の生活の中で一番大変だったのは、朝の準備、また思ったことをすぐ口にするという部分でした。
曖昧な言葉はNG 複数の事を同時にはできない
ある程度自分のことは出来るようになったものの、それらは全て私が声をかけてやっと…という状態です。
特に朝はひとつひとつ声をかけなければ動かないので「ごはん食べてね」「ボタン閉めてね」「靴下はいてね」「通園バッグ持ってね」という具合に、忙しい中しつこく細かく伝えなければいけません。
「幼稚園に行く用意してね」という言い方では動けません。
「着替えようね」だけだと制服を持ってウロウロするだけ。
「ボタン閉めて靴下はいてね」だとどちらかは忘れるという感じなので、一つずつ具体的に指示します。
曖昧な指示や一度に複数の指示ではあせってオロオロするだけで、一向に準備は進みませんでした。
また一度取りかかっても途中で他のものに気を取られると、やらなくてはいけないことを投げ出し、ふと見ると別のことをしている、ということも何度もありました。
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失礼なことを口にする娘に何度も恥ずかしい思いをする
またこの時期とても困ったのが、思ったことをすぐ口に出してしまうことでした。
この頃の娘は周りの子供達より身長が大きく、幼稚園生には見られないことも多くなっていたため、世間から見るとより“年齢にそぐわない”言動が多かったと思います。
例えば娘2人を連れて買い物に出かけた時、向かいから中年のご夫婦らしい2人が歩いてきました。その旦那さんの方が失礼ながら頭がツルッとしていたのですが、その瞬間私は『次女が何か言うのではないか…』と心配しなければいけません。
とっさに次女が気がついていないか気になり、横を歩く次女の方に向いた瞬間『ねぇ!なんであのおじさん頭ハゲてるの?』と次女が大声で口にします。
その度に私は謝り、次女に対し、“今あなたが口にしたのは失礼なことだ” “どういったことが失礼に当たるのか。なぜ失礼なことを言ってはいけないのか“ について何度も何度も説明する必要がありました。
またどこかにお邪魔した際、自分が好きではないお菓子が出された時に「おいしくない」と言ってしまったり「汚いね」「狭いね」など、言うべきでない感想を相手の前で口にしてしまうことが何度もあり、その度に私は顔面蒼白になりその場から逃げ出したいくらい恥ずかしい思いをしました。
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(前編終わり 中編に続く)