現在中学校1年生の我が家の次女は、先天性股関節脱臼+ADHD+ASDです
その娘が小学校5年生で発達障害の診断を受けるまでの話になります
この記事の中では
• ADHDに至るまでの過程
•ADHDと診断された時
• 小学校5年生時期の娘の目立った特徴
について書いています
前編・中編はこちら↓
- 5年生5月発達障害センター初受診
- 私が思うより娘はたくさんの事を考えていた
- 娘を相談センターに連れて行くにあたり本人にどう説明したか
- 娘を連れて相談センターの面談へ
- 学力テストの回答用紙の後半はいつも白紙
- 上手に嘘をつくことはできない
- 9月、娘が発達障害と診断される
- 診断されてからの私の思い
ここまで娘の発達障害の可能性を疑いつつ様子を観察してきましたが、4年生の冬、ついに小学校を通して発達障害相談センターの予約を取ることにしました。
この相談センターは、子供の様子が気になるからと個人で予約できるものではなく、学校から子供の情報とともに相談センターに連絡を入れてもらうことにより、発達障害を専門に扱う先生方に子供の様子を問診と面談などによって診てもらうものでした。
5年生5月発達障害センター初受診
1月の予約から4ヶ月待ち、学年も5年生に変わった5月、やっと相談の予約日がきました。
初回にあたるこの日は子供は同伴せず、私と3人の相談員の方での面談です。
産まれた時〜現在までのことを事細かに聞かれ、様々な場面で娘がどんな行動をするかなどを含め詳細に答え、約3時間の面談が終わりました。
特に繰り返し聞かれたのは、“自分のこだわりの強さから急な予定の変更にパニックになるのでは?”という部分でした。
ですが娘はそういったことは一度もありませんでした。相談員の先生方は3時間の面談の中で質問のしかたを変えながら、なんどもその点を確認してきたのが印象に残っています。
ひと通りの話を終え、次回は6月、今度は娘本人を連れての面談となりました。
私が思うより娘はたくさんの事を考えていた
ところで、これまでの娘は「何かイヤなことない?」と聞くと「何もないよ」と答え、能天気でなにも悩みなどなさそうに振るまい、時に「この子は何も考えていないのでは?」と思える程だったのですが、この5年生くらいから私は娘が色々なことを考えていると知るようになってきました。
これまでの娘はネガティブな発言をすることはほとんどなかったのに、この頃からごくたまに “嫌なこと・嫌な場面” をわたしに伝え、以前より意思表示をするようになってきたからです。
これにはおどろき、今まで娘を見誤っていた…と、自分の浅はかさを痛感しました。
子供の気持ちを忘れないとか理解するとか言いながら、わたしは娘の上辺しか見ていなかったのかも知れないこと、また娘はわたしが思うよりもずっと、日々たくさんのことを考えているのだと知ることになりました。
娘を相談センターに連れて行くにあたり本人にどう説明したか
これがもし小学校低学年だったら、娘を相談センターに連れて行くことについて、さほど何か考えることもなかったかも知れません。
ただ5年生になった娘が色々なことを考えていると知ったわたしは、学校を休み相談センターに行く理由を娘にどのように説明するべきか、しばらく考えました。
娘自身、今までにたくさんの場面で、落ち着きのなさや会話中の説明不足、整理整頓などについて何度も指摘されているので、この時期には自分にとってなにが苦手なのかも理解してきていました。
そしてそのことで娘もたびたび困る場面を経験していたので、そこに訴えることにしました。
ところがこの ”困る“ ですが実は娘本人は困っていないと言うのです。
「忘れ物をして困らない?注意ばかりされて嫌じゃない?」と聞くと娘は「えー別に何も困らないしイヤなこともないよ!・・・だけどまぁ、色々言われるのはめんどくさいかな〜」というまさかの返事だったので、困らないんかい!とまたビックリしました。
が、そこですかさず「でしょ?言われるのめんどくさいよね。だからさ、どうして頑張っているのにいつも注意されるのか、どんなことが苦手なのか一度ママと一緒に聞きにいかない?」と誘ったところ、案外すんなりと娘のOKをもらうことができました。
娘を連れて相談センターの面談へ
私にとっては2回目、娘にとっては初めての相談センターの予約日を迎え、娘は学校を早退し私たちは相談センターへ向かいました。
相談センターに着き、「聞かれたことにはちゃんとハッキリ答えてね」と娘に念を押し、私と娘は別々の部屋に案内されました。
発達障害と診断されれば親も子も楽になる。そう思ってここに来るに至ったのに、娘と面会する先生に “娘をよく見せたい” また “変な子と思われませんように" と思うのはなんとも矛盾していて、自分でもちょっとおかしかった事です。
ここで娘は相談センターの先生と会話をしたり、約1時間かかるという紙のテストを受けることになります。
2回目の私は1時間ほどで相談員との話を終えました。そして娘のテストも間も無く終わるだろうということだったのですが、いつまで経っても終わったという連絡がないのです。
娘のテストが終わるまでの間、私は相談員さんと雑談を続けていました。
そしてさらに1時間経ち相談員さんが娘のテストの部屋まで様子を見に行ってくれたところ、娘のテストはまだまだ途中でした。
通常1時間程度で終わるというテストを娘が終えた時、すでに3時間が経過していました。
これは今も続く時間配分ができないという、娘の苦手な分野です。
学力テストの回答用紙の後半はいつも白紙
時間配分ができないと書きましたが、これは片付けの苦手さに匹敵するほど、幼い頃から娘が苦手とすることです。
◯時までに◯と◯を終わらせる
ということがなかなかできません。
このことを毎年痛感するのが、学校で行われる全国学力テストです。
毎年夏休み中に担任の先生と保護者の面談があるのですが、その時に学力テストの結果を渡されます。
ちなみに娘の得意科目は算数、苦手な科目は社会、そして一番の苦手なものは正確な答えが存在しない作文です。
塾のテストなんかだと問題数が多い上に難易度も高く、回答しきれなくても不思議はありませんが、全国学力テストは問題数的にも学力的にも回答することはそこまで難しくないはずです。
なのに先生から渡された答案用紙を見ると、得意教科の算数以外は後半の半分または3分の1が丸々無回答…
これはどういう事なのか、理解に苦しみます。記述はマークシート方式なのにです。
初めてこの答案用紙を見たときはびっくりしました。
5択のマークシートなのになぜ何も書かないのか、時間がなかったのだろうなということは分かります。でも5択なら普通なら最後にまぐれ当たりを狙ってなんとかマークシートを埋めようとするはずです。
単純に正解確率は5分の1、消去法でいけばさらに上がります。
ちなみに国語の作文においては書こうとした努力の跡もなく、全くの未記入が当たり前です。
“普通は“ 記入するよね?と思い、なぜ無回答のまま提出するのか娘に聞いてみました。
すると「そういう嘘ついたりズルするようなこと、イヤなんだよね」という返事。
その言葉に、私はなにも言えなくなりました。
嘘というか…ズルというか…確かにその通り・・・だけど少しでも点をとってほしいと願う親としては複雑な気持ちです。
妹の言葉を聞いた長女は「そんなことどうだっていいの!みんな分からなかったら適当に書くんだよ!」と言ってひどく怒っていたのですが、これは次女のバカ正直とも言える長所とも短所とも取れる部分なのです。
正直なところ、マークシート式の答案用紙を『問題を見る時間がなかったから無回答で提出』する人がどの程度存在するのか気になるます。
正直者がバカを見る、みたいな思いを将来しないかと今から心配ではあります。
上手に嘘をつくことはできない
バカ正直に含まれる話ですが、娘が幼い頃から親としては少しモヤモヤすることがあります。
それは『人にほめられたり感謝された時に、黙っていれば分からない余計なひとことを言う』ことです。
例えば娘の友達のお母さんに偶然会った時「この間次女ちゃんウチの子家まで送ってくれたんだってね。ありがとうね〜」と言われた時、「別に送ろうと思ったわけじゃないけど喋ってたらいつの間にか家に着いてたんだよ」とか先生に「こういう場面で友達親切にしてたよね」と言われて「え、それは頼まれたから仕方なくやっただけだよ」というように、言わなくていい情報の発言があることです。
ほめられたり感謝されたら黙って受け取ればいいのに、この返事ではすごく損してしまいます。中学生になった今では少なくはなりましたが、それでもまだこの傾向は残っています。
こんな場面を見た時私は、娘に「損するよ〜」と言いました。
でもそれ以上に「人は相手のいいところを見つけてそれをほめようとしたり感謝を伝えようとしてくれるものだよ。なのにそれを否定したらほめてくれた人は困るし、その人の優しい気持ちを否定することにもなるんだよ」と言い、人間関係がうまくいかなくなる事を心配しました。
特に、事実を言えば相手を傷つける場合など、わざわざ相手を傷つけるかもしれない事実は言う必要がありません。その場で言うべきかどうかの空気が読めないが為とも言えますが、口に出す前に一度心の中で考えるようにも言いました。
それでも娘の正直な部分は彼女の大きな長所で魅力だとも思っています。
世の中に嘘つき(利己主義者)が多い中、なぜ彼らが損をし、正直者が得をするのかを、卑怯な事例と共に科学的に教えてくれる本です。ちょっと内容は難しいですが、私はやはり正直である事を支持します。
嘘つきがなぜ嘘をつくのか、その結果どうなったか、記事を書けるくらいネタがあるので、いつかのいつか書ける日がきたらなと思っています。
9月、娘が発達障害と診断される
前回から2ヶ月経ったこの日、私は相談センターに行き娘のテストや面談の結果を紙で渡されました。
どんな名前のテストをしたのかこの時まで知りませんでしたが、結果の紙には知能検査:WISC-IVを実施した結果が書かれていました。
言語理解 103
知覚推理 127
ワーキングメモリー 109
処理速度 83
これは10歳で受けたテストの娘の結果ですが、際立って低いのが処理速度でした。
これは簡単に言うと作業スピードを表します。
時間通りにテストを終えられないのは、視覚の情報を取り込んだり正確に記憶することが苦手なことから、例えば問題を読みそれを暗記した上で答えを探すことができず、何度も問題を確認したり読み直すことによることが原因のひとつだと思われます。
この後相談センター常駐医師からの話もあり、娘はADHDとASDであると診断を受けました。
診断されてからの私の思い
相談センターで娘の結果を聞いた私は、なんだかフラフラしてフワ〜っとした気持ちで車に乗り込みました。
幼稚園年長さんの時に初めて感じた違和感、そこからもうすでに6年が経過していました。
これまで本当にたくさんのことがありました。
6年間の不安な思い、なぜ普通のことができないのかと悩んだこと、何度言っても理解しない娘にたくさん怒ってしまったこと、怒られるたびに焦る娘の顔…それらが次々と頭を巡り、力が抜け、私はしばらく運転席に座ったまま動けずにいました。
「やっぱりあの子は発達障害だった…」
やっと今までの苦しさから解放された安堵、そして元気で明るい娘をいじらしく思う気持ちが溢れ、「もうひとりで悩まなくていいんだ、周りの先生や専門家に頼って一緒に娘に教え育てていけばいいんだ」そう思った時、初めて心の中が熱くなり、震えるようでした。
そして、もうできないことを怒るのはやめよう。帰ったらたくさん抱きしめてあげよう。
そう心に決めました。
ここまで読んでくださり、ほんとうにありがとうございます!
この後帰ってから娘を抱きしめようとしたら、嫌がられました。
次回、発達障害と診断されてからバタバタと始まった支援や面談、また小学校6年生時の特徴についてを記事にします。
その後は娘の年齢別の変化についてまとめますので、よかったらまたお越しください。烏星 未烏