この記事はわたしが長期間に渡り体験した辛い記憶をある程度忘れ、それほど苦しめられることがなくなった方法を3つの記事に分け連載するもののうち1つ目の記事になります。
読んで下さっている方の仮にひとりであっても、苦しみが軽くなることを願ってこの記事を書きました。
おそらく誰しも悲しい過去や思い出したくない記憶のひとつやふたつを抱えているのではないかと思います。
そういった辛い気持ちを誰かに打ち明けた時「早く忘れることだよ」「時間が解決してくれる」これはもはや決まり文句と言っても良いほどよく聞く言葉です。
アドバイスをくれた人が、なにも考えずにそう言った訳ではないとわかっても、言われた方は「的外れだ」と感じモヤッとした気持ちを抱えることがあるのも事実です。
忘れられるのならとっくに忘れてるよ。話すんじゃなかった。と後悔することもあるかもしれません。
この点でわたしは、辛い体験や記憶を無理に忘れようともがき苦しまない方がいいと思っています。なぜそう思うか理由を聞かれればわたしの考えを伝えますが、そうでない人に無理やり伝えることはしません。
誰かに対して「絶対に無理してまで忘れてはダメだよ」ということを言うつもりではなく、わたしが過去に体験して長年苦しんだ結果行き着いた、わたしなりの考え方だからです。
そもそも「忘れなさい」と言われて本当に忘れられるなら、苦しまないですよね。
忘れられないから苦しいのです。
ただ人がよく口にする“忘れる”という言葉、まずこれがなにを意味するか、そこから伝えていきます。
この連載は
・忘れるという意味
・辛い体験を忘れようともがかない方がいいと思う理由
・辛い記憶の正体
・辛い体験を忘れることは
についてのわたしの考え方をまとめたものです
忘れるということの意味
わたしの中で忘れるの意味を考えた時、大きく分けると下のふたつになります。
1. 記憶から消えること
2. 頻繁に思い出したり常に意識することがない、または新しいものによって意識しなくなること
例えば
10日前の食事のメニューを忘れる
人と会う約束を忘れる
これは1の忘れるにあたります。努力しても思い出せなかったり、また記憶から抜けてしまっていることです。
忘れる記憶と忘れない記憶の違い
次にこちらの例を見てください
b. 10分前に自分がしていたことを忘れる
c. 昔行った旅行先の詳細を忘れる
d. 昔付き合っていた元恋人を忘れた
e. 通った小学校の名前を忘れない
これが2の忘れるにあたります。聞かれれば答えることができる。またそれにまつわるキッカケがあれば思い出すが、日常的に考えることはない、意識することがない記憶のことです。
ちょっと不自然に感じるかもしれませんが、読み進めてみてください。
この2をアルファベットで分けましたが、これを細かく見ていくと
•a. 今朝の朝食、b. 10分前にしていたこと
このふたつは日記など書いていない限り、たいていは1の忘れるに移動してやがて記憶から消えてしまい、後から日記を読み直して覚えていないとしてもおかしくありません。
•c. 旅行先の詳細
行った直後ははっきり覚えていても年月が経てば詳細はおぼろげになり、思い出す頻度も減ります。完全に忘れてはいないけど、細かいことまでは思い出せなくなります。
•d. 元恋人
これについては人それぞれかもしれません。よく聞くのが「別れた恋人のことが忘れられない」「この先彼を忘れられる日がくるとは思えない」という言葉です。
ですが女性にはよくあることですが、もう生きてはいけないと悲嘆に暮れていた人も、次に恋人ができてのめりこむとあっさり元カレを忘れるということもまたよくあることです。一生懸命話を聞いてあげていた友達もひょうし抜けするほど切り替えが早かったりします。つまりもう忘れたと言える状態です。その逆にいつまでも何年も忘れられず苦しみ続ける人もいます。
•e. 通った小学校の名前
これは覚えていない人はほぼいないと言っていい記憶です。覚えているかどうか、忘れられるかどうか、という対象にはならず、忘れないと言われる記憶です。ですが普段小学校の名前を常に意識して生きている人はいないでしょう。そういう意味で普段は忘れているけど生涯忘れない記憶ということができます。
人の記憶はいくつかに分類されますが、ここで忘れるか忘れないかについてはその記憶が長期記憶であるかどうかによっても関わってきます。
例えば長期記憶の代表的なものに、自分の名前、運転の仕方、言語などがありますが、これらは一度身についたら脳に障害がない限り一生忘れることはないと言われているものです。
辛い記憶を忘れたい人が望むこと
過去の辛い体験や記憶に苦しむ多くの人は『忘れる』ことを望みますが、同時に『完全に忘れることはできない』ことも知っています。これは『体験が記憶から消えることはない』と知っているからです。
そうと知った上で『忘れたい』と思う時、それはふたつの意味に分かれると思います。
・本気で記憶を消したいと思っている(1の忘れる)
・意識することなく過去のことにしたい(2の忘れる)
多くの人が忘れたいのに忘れられず苦しむのは本気で記憶を消したいのに消えることはないから、また過去のことにしたいのにいつまでも忘れられないことが理由かと思います。
苦しい体験の長さは人よると思いますが、苦しかった出来事は長期記憶ではないのになぜ忘れられないのか?という記憶に関する専門的な話ではありません。
一番望むことは、辛い体験そのものをなかったことにしたい。ということです。
でもそれは不可能な上に自分の記憶の操作もできないから、苦しみ続けるのだと思います。
記憶が消えることを望むのではなく
辛い体験をした人の中にはそれがたった1日限りのことでもいつまでも忘れられないことがあります。幼少期からの記憶を書いているわたしの過去の記事にもあるように、わたしは当時の出来事、感情を詳細に覚えている部分があります。
この中でも書いていますが、当時2才の子供が覚えていることに、何気ない日常など一切含まれません。
どれも衝撃的だったりショックを受けたりひどく傷ついたり悲しかった出来事に限定されました。
これは大人であっても概ね同じだと言えると思います。
『忘れたい』そう思うことは、とても耐えられないと感じるほど悲しかった、傷ついた、ショックを受けたものであるはずです。
残念ながら人は記憶の操作をすることはできません。
覚えていたくても忘れるからメモに書いて残すし、知識を身につける為に繰り返し勉強します。反対に覚えたくなくても記憶に残ってしまい、忘れたくても忘れることができず、苦しみます。
苦しむほどの辛い体験は時間の経過で記憶から消えるものではない
「人は忘れる生き物だから大丈夫だよ」と親切心から言ってくれる人もいますが、記憶から消えるよということを言っているのであれば、それは一時的に生じた嫌な気持ちについてのみ、1の忘れる(記憶から消える)が当てはまります。
ですが本人にとって強烈に印象に残ったり、ひどく傷ついた体験であれば、記憶から消えるということはほとんど期待できません。
忘れられず苦しむ人にとっての『あそこまで傷ついた体験』と感じる出来事は、時間が経ったから忘れるといった類いの体験ではないからです。
この場合忘れたいと苦しむ人が目指せるのは、2の忘れる(頻繁に思い出したり意識することがない)がその人にとって忘れるという目的を達成できる最終形だと思っています。
むしろ2まで到達できるとするなら、ものすごく素晴らしいと感じる域です。
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