読んで下さっている方の仮にひとりであっても、苦しみが軽くなることを願ってこの記事を書きました。
前記事①から読んでいただいた方がより分かりやすい内容になっています。
・忘れるという意味
・辛い体験を忘れようともがかない方がいいと思う理由
・辛い記憶の正体
・辛い体験を忘れることは
についてのわたしの考え方をまとめたものです
1 記憶から消えること
2 頻繁に思い出したり常に意識することがない、または新しいものによって意識しなくなること
わたしにとって忘れられないほど辛かった体験
わたしが精神的に長いこと苦しむことになった体験がふたつありますが、そのひとつを別記事に書きました。
興味がある方は、下の記事↓を読んでから、この記事の続きを読んでください。
(※現在非公開中)
残るひとつの体験は、他の人から大きな裏切りを受けたというものです。
辛い記憶を忘れようとして苦しまないで
現実的なのは頻繁に思い出さないレベルを目指すこと
2(頻繁に思い出したり意識することはない)何とも思ってない元恋人レベルにならできるかもしれない
前記事で辛い記憶を消すことは難しい、そうなると2にできるならそれは理想とする可能な範囲での最終形と書きましたが、これであってもとても難しいものです。
忘れられない辛い体験=今は何とも思わない稀にしか思い出さない恋人
というレベルまでに持っていくのは相当難しいですし、実際現実的な話ではないと思っています。
なぜなら自分の中で、自分にとっての辛い体験は、たまに思い出す出来事と同列には扱っていないからです。
ならば、それに少しでも近い状態になるまでを目指すのであれば、わたしは十分現実的だと思えます。
忘れようと苦しむ=何度も繰り返し思い出す
「余計落ち込むから考えない方がいい」「いいかげんに忘れなさい」
周りからそう言われ「なるべく考えないようにしよう・・・」日々そう思っていても、ふとした時に辛い記憶は蘇るものです。
その時の季節や匂いや音楽、特定のワード、その人にとって辛い体験と結びついている情報が何らかの形で入ってきた時、意図せずあっという間に辛い体験の沼にハマり抜け出せなくてもがくことになります。
こちらに関してはなぜか思い出したくないと思ったことはなく、繰り返し繰り返し当時のことを思い出し、どうにかして心が腑に落ちる場所を探していたという感じです。
また長年に渡って続いた辛い体験だったので、その後の日常生活で思い出さない日はなかったのではと思えるほどいつも頭のどこかにあったと思えます。
前記事でも長期記憶に触れましたが、単純に考えると忘れるか忘れないかは体験した時間の長さによるということを書きました。
これを辛い体験を思い出す回数が多いほど、思い出す時間が長いほど、強固なものとなって記憶に定着するとわたしは考えます。
例えば今日友達から聞いたこと「昨日の朝11時に自転車でお肉屋さんに行ってA5ランクの松坂牛を500グラム買ってその日の夕食で〜」という話を普通はいつまでも覚えていられません。
でもそれを絶対忘れないようにとメモし、1日に何度も繰り返し音読することを続けたら、いつか暗記して身についてしまうと思うのです。
テスト勉強や英語の単語を暗記するのもその類いかと思います。
一度単語を暗記しても一定時間で記憶が薄れることから、また日数を置いて再び同じ単語を暗記し、それを繰り返し習得していきます。
ただでさえ辛い体験は強いインパクトと共に記憶に残るのに、その後何度も復習するかのように辛い思い出をほじくり返してより強い記憶に育てる必要はなかったなぁ…と今は感じています。
過去を思い出す時、実際苦しみもがいた期間の記憶も苦しみとして残り、結果自分にとっては辛い記憶の量と長さを増やすことになってしまうこともあります。
苦しみを相手にぶつけても心は晴れない
忘れようともがく時、頭には辛かった出来事、また相手がいることならその相手の顔や言葉が浮かんできます。
今の相手とのつながりがあれば、顔を合わせた時にふと当時の感情が蘇り、つい相手を責めたり自分の辛い気持ちを言ってしまうかもしれません。
ですが自分の気持ちをぶつけたことでスッキリすることは少ないとわたしは思っています。
というのもわたしは大人になってから、あれだけのことをした母に「どうして子供のわたしにあんなことをしたのか」と絞り出すように聞き、そこからは感情が堰を切ったように溢れ、わたしの子供時代がどれだけ不遇だったか辛かったかを一気に捲し立てたことがあります。
その時の母は悲しそうな顔をしていました。
それを見てわたしの心はチクリと痛むのですが、同時に心の中は『今更そんな顔をしても遅い』とつぶやき、もう止められないのです。
そして言いたいことを言い切ってもわたしが満足するような言葉を母から聞くことはできず更にイライラし、追い討ちで『わたしの人生の一番の不幸はあなたの子供に産まれたことだ』と言いました。
もがき苦しむ=自己嫌悪に陥る
わたしは母がどんな返事をしたとしても自分は満足しないであろうことが分かっていました。
だから本当は母にわざわざあんなことを言う必要はなかったんです。
それなのにただ、もう少し何かしらの言葉をかけてほしい、わたしの気持ちを知ってほしい、どれだけ辛かったか聞いてほしい、どんなにひどいことをしたかちゃんと分かってるの?そう言いたいがために責めて最後に傷つける言葉まで口にしました。
全てを言ったあと、わたしに残ったのはひどい自己嫌悪だけでした。
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