子供の頃を振り返る時、あなたは母親に愛された思い出がありますか?
ほとんどの人は愛情いっぱいで育ててくれた母親に感謝の気持ちを持っているのだと思います。
そして自分が母親にされたように、子供に愛情を注いで育てようと思い、実際そうしていますよね。
でもその反面、母親に言われた傷ついた言葉をいつまでも覚えていて、大人になっても忘れない子供がいるのも事実なんです。
わたしが自分の子供を育てる日々の中、子供たちに対して腹が立ってイライラすることはこれまでにたくさんありました。
そんな時は、つい感情に任せて口を開きそうになってしまいます。
でもそこで必ず蘇るのが、わたしが子供の頃母に言われ傷ついた言葉の数々です。
何年経っても忘れずに「母にあんな事を言われた」としつこく思い出し、絶対子供たちに同じことは言うまい…と心に決めなくてはならなかったのは、わたしにとってちょっと悲しいことです。
この記事は
・わたしが子供の頃母に言われて傷ついた言葉5つ
について書いたものです
ランク付けするような内容ではない思うのですが、わたしにとってより傷ついた言葉をワースト5としてまとめました
母に言われて傷ついた言葉
ワースト5「あんたのせいでわたしは離婚できない」
これはわたしが中学生くらいの時、母がよく口にした言葉です。
わたしの父は普段は穏やかな人ですが、悪く言えば威厳のない父でした。
家庭内で何か問題が起きた時、家族で話し合ったり問題を解決しようと動くことはなくて、全て母任せの父。
もちろんわたしの教育についてもノータッチで口も出しません。
今は体への影響を考えてお酒をやめた父ですが、昔はお酒を飲んでは気が大きくなり、家に帰ってきて母に暴言を吐く、ということがたびたびありました。
そんな時、普段は強い母ですが酔った父に太刀打ちできず、子供のわたしに怒りをぶつけました。
大騒ぎして父と母がケンカした翌日、怒りを引きずった母はわたしに向かい「あー!もうあんな男今すぐ離婚したい!」「わたしは離婚したいのに我慢してるの。あんたがいるから離婚できないんだからね!」と言うのです。
わたしから見ればこんなのは単なる八つ当たりです。
この時母は専業主婦でした。離婚離婚と騒ぐけれど、母が本気で離婚を考えているのではないことはわたしにも分かっていました。
挙句には父とのケンカの最中にわたしの話題が出たのでしょう、「あんたのせいで夫婦ゲンカになる!」と言いました。
わたしはそれによって『自分さえいなければ…』などとは思わなかった子供でしたが、そんな理不尽なことを言う母が当時は本当に嫌でした。
ワースト4「あんたは泣けばいいと思っている」
母は理不尽でした。当時の母を形容する時、この言葉がピッタリなんです。
母の理不尽さによって、わたしが悲しくなったり悔しくて泣くことは、小学生の頃頻繁にありました。
すると母は「あんたは泣けばいいと思ってる」とよく口にしました。
わたしが泣いたことで、慰めてくれたり言いすぎたと思ってくれるような母ではなかったので、わたしが涙を武器のように使ったことはありません。
わたしとしては、母に理不尽な扱いを受けたことで傷ついてしまうことが悔しいんです。
それで泣かないようにと我慢するのですが、勝手に涙が溢れてきて止められないのです。
母は泣いたわたしをフォローしてくれるということは、ほとんどありませんでした。
ですがある時母はわたしをおしおきした後、泣いているわたしに向かって両手を出して「おいで」と言って自分の膝に座るようわたしを呼んだことがありました。
いくら母にムチで打たれても、小学生の自分は母に優しくされれば嬉しかったし、心が癒されました。
そしてどれだけ叩かれても、膝に座るようにうながしてくれた母の行為が嬉しかったのも事実です。
「おいで」と言われ母の膝に座ったわたしは母の胸によりかかりました。
するとスッと涙が引いて泣き止んだんです。
その時の母の言葉。何年経っても忘れません。
母は大きくため息を吐き、こう言いました「はぁ。あんたはちょっと優しくするとすぐ調子に乗る」
わたしが母に感じた優しさ、その全てをなかったことにするような言葉でした。
母の優しさは偽りだったのかなとも考えました。
母は、しおらしくシクシク泣いているわたしだったら、ちょっとくらいだっこしてあげようかと思ったのかも知れません。
でも抱いた途端に泣き止んでしまったら、もうかわいくなかったのでしょう。
これは子供のわたしを傷つけ、今思い出しても心がチクリと痛みます。
ワースト3「◯ちゃんの家の子になればいい」「◯ちゃんと交換したい」
「◯ちゃんと交換したい」 これは小学生〜中学生の期間に渡って日常的に母から言われていました。
キッカケは毎回母が気に入らない、ささいなことなんです。
◯ちゃんは勉強ができる
◯ちゃんは家でこんなことをするんだって
わたしは一人っ子でありながら、常に母の知人の子供、周りの子供と比べられていました。
そして比べた後は決まって「あんたが◯ちゃんだったらねぇ」「◯ちゃんと交換したいわ〜。向こうからお断りされるだろうけどね」とため息と共に母の愚痴を黙って聞き、静かに傷ついていました。
またわたしが友達の優しいママのエピソードを話すと「そんなこと言うなら◯ちゃんの家の子になればいい!」と言うのもいつもの事。
他の家のお母さんをほめることは、母には禁句みたいなものです。
でもわたしは羨ましさのあまり、また母にもそうなってほしくて、時々友達のママの話をしました。
そしてそのたびに母にヒステリーに怒鳴られました。
ワースト2「あなたはわたしを苦しめたいんでしょう?」
これもまたわたしにとっては理不尽に思えた母の言葉です。
わたしは高校2年生のとき、それまで強制的に学ばされていた『母の信じる教え』から離れることを宣言し、初めて長年に渡るしがらみから解放されました。
自分の意思に関係なく親に従ってきたという人は案外いるんじゃないでしょうか?
その時わたしがどのような言葉を母に言い、母としがらみから逃れたのか、これは今後別の記事に書きたいと思います。
それまでわたしは嫌々ながら母に従い、それでも母から見て気に食わないことがあればムチを受け、それを拒否する権利もありませんでした。
でもわたしが強い意志を通し、母としてはもうわたしを意のままに操ることがかなわなくなりました。
どうやってもわたしを従わせることができないと悟った母が口にするようになったのが「あなたはそうやってわたしを苦しめたいだけなのよね。わたしを苦しめて満足なんでしょう?」という言葉です。
この言葉は傷ついたというよりも、切なかった言葉ですね。
ワースト2に位置する言葉に選んだのですが、これは長年の苦しさも含めた上での位置付けかもしれません。
わたしの気持ちとしては、長年苦しんで、やっと、やっと! 解放されたんです。
苦しかった辛かった、なのにわたしが自由になったこと=母を苦しめる
その母の解釈を理不尽に思いました。
もう母はわたしを追ってこない。
ですがわたしは、自分が母の意に沿わない考えを持つことに対して、微かな後ろめたさのような感情にもなっていました。
あれだけ母によって苦しんできた子供時代があっても、母への気持ちが消えることはないんです。
それがかえって切なさを増しました。
ワースト1「産まなきゃ良かった」「あんたさえいなければ◯◯」
これは言ってはいけない言葉です。
絶対に子供に言ってはいけない言葉だとわたしは思っています。
親も人間なので、時にはイライラしたり感情的にもなります。
感情に任せて発言する時、人間は相手が傷つくと分かって敢えてその言葉を選んで発する時がありますよね。
「産まなければ良かった」これは親が子供に対して発するその際たるものだと思っています。
あの時はイライラしていたからごめんねと言えば済むと思いますか?
この言葉に関しては、わたしの気持ちでは一度でもその言葉を言ってしまったら子供は一生その言葉を忘れないでしょうと断言したいくらいなんです。
勢いで言ってごめんねでは済まない、決して取り返しのつかない言葉です。
この言葉のせいで自分の価値が分からなかったり、自分を肯定できない子供は少なからずいるんです。
わたしは強気な子供だったので、そこまでの気持ちにはなりませんでしたが、一度だけではく何度もそう言った母に対する絶望感のような気持ちを持ちました。
一度だけなら母も人間だから…ともしかしたら思えたかもしれませんが、さすがに何度も言われたことは「母はこの言葉の重さを、なにも気づいてないんだな」と確認できただけでした。
まとめ【一番口にしてほしくない言葉】
ワースト5としてここまで書きましたが、これ以外にも母にたくさん傷つくことを言われたな〜と当時をふつふつと思い出しながらこの記事を書きました。
わたしが子供たちに腹が立った時、こちらも親といえども人間なんですよね。当然感情があります。
特に長女の反抗期にはイライラして、しばらく口をききたくないと思うこともあったのですが、そんな時も母の言葉が常にありました。
親を舐め切ったような態度の反抗期の娘に、本当に疲弊させられる日々で、子供を傷つける言葉だけは言ってはいけない…と、つい口にしそうになることを我慢しなくてはいけないことが何度かありました。
もちろんそれは口にしたら娘を傷つける言葉です。言えば強気な娘でもきっと泣いたでしょう。
口にすることでわたしがスッキリするかと考えると、やっぱりその後は自己嫌悪だけだなと分かり、当時は胃をキリキリさせながら過ごしていました。
またわたしは言われなかったのでワースト5には入っていませんが、ワースト1と並んで言って欲しくない言葉は『命・存在を否定する言葉』です。
口にするのも書くのも嫌なのですが、稀に母親が子供を怒りながら口にしている場面を見ることがあるし、ネット上でも他人に対しての発言で目にすることがある言葉です。
本当に胸が痛みます。
これだけは決して口にしてはいけないし、誰かにぶつけていい言葉ではありません。
誰かの命に対して口を出していい人などいないと思っています。
どの命も大切です。
やはり思うのは、全ての子供たちが愛されて育つこと。
傷つく子供が救われること。幼少期に傷つた大人が癒されること。
子供に対してだけではありませんが、相手に対して口にしていいかどうかの基準は、まずは自分が言われて嫌だと感じることは口にしないという事なんじゃないかと思うのです。
全ての人が幸せに暮らせますように・・・
烏星 未烏